ユナイテッド・シネマ
メンバーズ会員の方に贈る、夢のセレブ企画!!

≪あなたの限界エピソード≫
※かなりの応募を頂いておりますので、すべては掲載できません。
ご応募の中から何点かをご紹介させて頂きます。

投稿者:ウ 投稿日:2003/6/9
新築の市営住宅は3LDKで36000円だったので50倍近い倍率でした。
抽選の当日、なかなか自分の番号がひかれず、もうだめだと思いがっくり肩を落として帰ろうとした時、最後の当選番号が呼ばれました。
なんと、それは、私の番号でした。
あきらめかけていたので、本当にびっくりしました。
最上階の10階の良い部屋に入れました。

投稿者:yokoyeah 投稿日:2003/6/8
高校時代、柔道の試合でもうあと一秒で終了という時に背負い投げがきまり、一本をとれた!!

投稿者:nao2002jp 投稿日:2003/6/8
私の愛犬シェパードのカレン号は、通常なら8歳前後で引退するハズの警察犬の仕事をギリギリの満10歳まで成し遂げ、年令を感じさせず、事件が起こると出動しては手柄をたて新聞に載せてもらった事のある素晴らしい子でした。
今年のはじめに末期の癌であることを告げられ、その後1ヶ月で旅立ちましたが、最後ぎりぎりまで私の側に寄り添い、また私達家族も精一杯の愛情をもって応えてやれました。
カレンに残されていた命の灯火も私達の体力も限界を超えていましたが、充実した素晴らしい日々だったと思います。
これが「限界」と聞いて思い出される唯一のストーリーです。

投稿者:ルルちゃん 投稿日:2003/6/8
卒業を控えた短大2年生の冬、単位を落としたら最悪・・・となる授業の朝、緊張し過ぎて寝坊をしてしまい、考えた末、パジャマのまま裾を膝上まで折り曲げた状態で、その上からロングコートを羽織り、帽子を深く被ってバス〜電車と乗り継いで授業にギリギリで滑り込みました。授業中、教授から「コートは脱ぎなさい」と言われましたが風邪がひどくって・・・と言って絶対脱げませんでした。その授業が無事に終了したあと、我にもどった時に足元を確認すると真冬と言うのに素足にちょい履き用のスリッポンを履いていて、顔から火が出たのは今でも忘れられません。もちろん、そのままの状態で公共機関を利用して帰らないといけなかったので、自分がとても情けなかったです。流行に敏感でお洒落が大好きな私にとって、もっとも過酷でギリギリの体験でした。

投稿者:non 投稿日:2003/6/7
23年前札幌に転居し、生まれて初めての雪国生活を体験しました。慣れないものばかりで見るのも聞くのも面食らう事ばかり、そんな中で車の運転では本当に苦労しました。
当時、スノータイヤで雪道を走行していて交差点前まで来た折、急ブレーキをかけてしまった瞬間ブレーキは効かなくなりスピンしたんです。180度クルッと車が廻り私は真後ろを向いていたんです。冷や汗が出たのは言うまでもありませんが、対向車ともすれすれでぶつからずに止まっていたのにきずき冬道の恐ろしさを実感しました。
タイヤもスパイク、スタットレスと変って雪道走行も慣れましたが、あのすれすれが、今でも胸につかえていて雪道でのスピード、車間距離への注意が頭の片隅にドッシと入ってます。

投稿者:コヨーテ 投稿日:2003/6/7
主人と友人とカラオケに行って、私の順番になり気持ちよく歌っていたら、前歯の差し歯がとんでいきなり、おばあちゃん顔になってしまい、恥ずかしくてトイレに逃げ込みました・・・^^;。私にとって、忘れられないエピソードです。

投稿者:花 投稿日:2003/6/6
7年付き合ってる彼氏が私と別れて1週間で彼女をつくったのですが相手が12歳年上のスナックのママだった。。。更に彼女のお店の経営の為、入籍は出来ないけど「歳だから自分の親に花嫁姿を見せたい」それだけの理由で彼女は勝手に沖縄での結婚式を予約してきて彼は急な結婚式だけど彼女の為に毎日残業して必死に働いて資金を稼いでいるのですが彼女は店の為と言い毎日朝帰り。私は今でも彼の事が好きです。だから彼女の全てを信じて頑張る彼を見ていると自分は振られたのにもかかわらずほっておけなくて7ヶ月ずっと待っていた自分にそろそろ限界を感じる!!!

投稿者:ナナパパ 投稿日:2003/6/6
魚釣りの大会で最後のギリギリ1投で釣れた。

投稿者:HTSUNET 投稿日:2003/6/6
東京で新築の家を買うために手付金を500万円支払う予定の日の前日に
会社より福岡に転勤命令、いきなり住めない家の購入を取り止めました。もし、手付金支払い後に取り止めたら500万円が戻ってこなかったと考えるともう限界ギリギリエピソードです。

投稿者:micoci 投稿日:2003/6/6
パソコン・トラブル!次の日に使うデータを更新中、突然画面が真っ暗。再起動かけたパソコンの中には、更新データがすっかり無くなったDBが待っていた時は、目の前が暗くなった。その時、既に22:00。それから無くなったデータを手入力すること6時間。会社と自宅は片道1時間強。その時点で家に帰り、7:30には会社に戻って失敗した更新作業をしました。その日、家に帰るとなぜが真っ暗な画面のノートパソコンがわたしを待っていた。復旧したのは6:00。そのまま会社に行きました。その日も残業。機械的に手が動いている状態でした。

投稿者:春が来た 投稿日:2003/6/6
高校入試の朝、何かボーッとした気分で目を覚ました私は、熱を測ってみると39度もありました。何しろ、受けなくてはという気持ちだけで、やっと、高校に着きましたが、あんのじょう、受けさせてもらえないところでしたが、涙を流して頼み込んだので、やっと受験できました。結果は、合格、、、、。でも、当日は何を読んで、何を書いたのか、、、、。体力の、限界でした。

投稿者:のんちゃん 投稿日:2003/6/5
夜中に胆石による腹痛で悶絶しそうになりながら、自分で車を運転し救急病院に駆け込んだものの、その後が記憶にないこと。(ちなみに手術は無事に済みましたが、車は駐車違反でレッカー移動されてました。)

投稿者:あおい 投稿日:2003/6/5
数年前の雪が降った翌日でした。私は積もって少々凍っている道で車を走らせていました。緩い坂道を下っている時にその事件は起きました。道路は4mほどの幅で対向車も無くゆっくり走っていましたが、いきなり雪にハンドルを取られ、スリップ!慌てた私は急ブレーキ!しかし車は止まるどころか景色がゆっくり(スローモーションのようでした)と回り、ブロック壁が目の前に迫ってきていました。ぶつかる!と必死にハンドルにしがみ付いていた私が目を開けた時には車は坂道でもと来た方向に半回転していました。壁との距離は30センチほど、逆側は崖で落ちたら転落するような所でした。心臓はバクバクと鳴り、寒かったにも拘らず手や腋にはじっとりと汗をかいていました。対向車が無かった事、人もいなかった事、道幅に対して車が小さかった事が幸いでした。 生きてて良かった〜

投稿者:くろ 投稿日:2003/6/5
乗馬を習っていたときです! いきなり馬が暴走して私は振り落とされそうになりこのまま落ちると踏まれてしまうととっさに考え取り合えずしがみ付いていました。そろそろ「ヤバイ!」と思いどんな状態で落ちようかと考えたあげくお尻から落ちようと「ポテッ!」と、落ちました。その途端踏まれる事は回避できましたがその瞬間、尾てい骨から落ちたので息が吸えなくなりました。死ぬのかと泣きまくっていたら回りのメンバー達は慣れたもので、「これで、あんたも上達するやろ」と一言。いい経験をしました? ・・・(^^;

投稿者:ギリギリチョップ 投稿日:2003/6/5
小遣いが、残り1000円の時、ふらっと入ったパチンコ屋さんで、いきなり15万円勝って、ピンチを脱出したことです。

投稿者:かずちん 投稿日:2003/6/5
応募締め切りの日,郵送では間に合わないと気づいたがあきらめきれず,その住所先まで持参したら見事当選した.(エッセイコンテストで最優秀に選ばれてしまった!)

投稿者:まなみ 投稿日:2003/6/4
看護婦の試験の時に、どーしても分からず選択だったので・・・
つい、鉛筆をサイコロ代わりに転がし回答してしまいました...
一生懸命勉強した皆様大変申し訳ありませんm(><;)m

投稿者:まりりん 投稿日:2003/6/4
水泳大会のリレーで水着がずれて気になっていたのだが、そのまま何とか泳ぎ続けて、入賞することが出来た。その後の表彰式で水着のずれを直しているシーンが写っていた。

投稿者:momo 投稿日:2003/6/4
昨年結婚しましたが、当日まで仕事が忙しくて、全然準備が間に合いそうもありませんでした。それでも「やるしかない!」とだんなは連日徹夜して準備。当日の朝出発寸前まであれこれと作って、ぎりぎりセーフ。当日二人とも疲れきった顔でみんなに同情されてしまいましたが、何とか間に合ってよかった!

投稿者:teltel 投稿日:2003/6/4
豪雪地帯に住んでた小さい頃、ウサギを追いかけ雪の多い河原へ。
ウサギを見失って足跡をたどっていった時・・・、
「ズボッ!!」
前を見ず、足跡だけ見てた私は雪がせり出した所まで知らずに歩いて来てたのでした。
落ちながら「死んじゃう〜!!」と、恐怖で目を閉じ、2・3秒たったにもかかわらず冷たくも痛くも無い・・・。
「ん?」と、目をあけると、運良く川には落ちず、偶然にもあった、幅50cmほどの排水パイプの上にボーゼンと立ち、自分の背丈より上の丸い穴から空を見上げていた私でした。
その後、「コンニャロー!!」と、自力でよじ登り無事生還。
あんなやわやわな雪壁をよじ登れる体重を懐かしむ日々です。

投稿者:水野神楽 投稿日:2003/6/4
会社の面接の時に「あなたの趣味は?」と急に聞かれて趣味でもない、「天体観測です。」と答えたら、社長がプラネタリウム好きだった為、話が弾んで会社に入社できました。すっごく幸せでした。

投稿者:ぼたんちゃん 投稿日:2003/6/4
バドミントンの試合のとき。決勝戦で足の指がつってしまった。消炎鎮痛剤をスプレーして靴紐をぎゅっと締めて 試合続行していたら もう一方の足の指もつり始めた。またもやスプレーと靴紐を更に締め直して ねばった。優勝した。

投稿者:ひめ 投稿日:2003/6/4
私の体重は女として、許されるぎりぎり限界ラインにある。

投稿者:akane 投稿日:2003/6/4
新しいサンダルをはいて靴擦れができ絆創膏をはっていたのですが痛みがひどくて歩けなくなりどうにか足をひきずって家に帰り着きましたその後、熱が39度もでて何がなんだかわからないまま倒れこんでいましたが家族は夫が単身赴任なので子ども3人だけで“大丈夫?”と心配はしてくれてもそれ以上は翌日の日曜日も熱が下がらないので最後の力をふりしぼって当番医をさがして子どもに付き添ってもらってタクシーで病院へ結局「丹毒」というもので腰に大きな注射をうたれ“あと少しで手遅れになっていたかも”といわれました。こうして命びろいした限界エピソードでしたが完治するのに1ヶ月もかかりとても大変でした。

投稿者:ようこ316 投稿日:2003/6/4
先日、庭のお花に水をまいてたら足を滑らして、鉄板でおもいきり打ち付け、擦り付けてあまりの痛さに吃驚!でもいつもは、スカートをはいているのにこの日はパンツをはいてたので打ち身だけで済んで良かった。

投稿者:かおりん 投稿日:2003/6/3
私のギリギリの限界は、同僚と競いあったサウナでの腕立て大会。もう暑くて、しんどくて、今でもなぜあんなことに参加したのか、わかりません。

投稿者:水仙 投稿日:2003/6/3
ガスのお風呂に火をつけベッドでちょっと横になったら寝てしまい、パット!目が開きびっくりしてお風呂に行ったところ、あとお湯が5ミリぐらいでガス爆発するところでした。後で震えが止まらなかったのをおぼえています。

投稿者:もっち(プロジェクトM) 投稿日:2003/6/3
以前、会社内の品質会議大会(DQC)で発表をさせられたことがあり、3000人の前で取り組んでいた成果の発表を行ないました。あまりの緊張で目の前が真っ白になり、手に汗がびしょり!声を振り絞り出た言葉が「あの〜〜!トイレはどこ?」でした。会場中が大爆笑に包まれ、自分では何を言ったかわからずただ一緒に笑うしかなかったの覚えています。その後はこの爆笑で我に返り、成果発表を行なった31組の中で第一位に輝きました。社長にえらく気に入られたようで後日、社長賞ももらえたのです。生真面目で何のとりえもありませんでしたが、天然のボケで助かったエピソ−ドです。こんなんでいいのかな?すいません。

投稿者:かまたん 投稿日:2003/6/3
この半年間大病を患って入退院を繰り返しながら化学療法の苦しい治療を耐えました。あのつらさは私にとってまさに限界!治療を終えた現在、闘病を支えてくれた彼と結婚予定となり、これまた喜びの限界を超えるくらい私にとってはハッピーな出来事となりました。

投稿者:ちょこりーな 投稿日:2003/6/3
主人と21歳のころから付き合っていて付き合いも5年以上経ったころまったく結婚の話も出ずにこちらから催促するわけも行かずずーっと待っていてもうギリギリ我慢の限界で結論を出そうと思い『今日は心を聞くぞ!』と心に決めてデートをした日にプロポーズを受けました。ふぅ〜ギリギリ聞かないでよかった・・・!

投稿者:KAZ 投稿日:2003/6/3
すごく仲のよい女3人組で、毎回映画を見に行きます!そして毎回毎回
その映画のメイクや衣装でなりきり遊んでます。本当に写真添付したいくらい「限界ギリギリ」ですよ(笑)前回のチャーリーズエンジェルの時もなりきって楽しかった!!

投稿者:華輪 投稿日:2003/6/3
二十歳の時に大雨の中原付に乗っていて、左カーブの交差点で左ウインカーをつけたタクシーが停車しそのまま時速40kgほどでぶつかり、勢いで真直ぐに手を伸ばした状態で体だけが車の上に乗り上げ、フロントガラスの運転手と目があいました。私はそのまま何事もなかったように降りて運転手に「何で停まるのよ交差点じゃないの」と捨てぜりふを投げつけ転倒したバイクを起こして帰宅しました。滑りやすい服と大雨に助けられ、けが一つしませんでした。運転手はよほど怖かったのかマドもあけませんでした。バンパーが思い切りへこんでいたような?休止に一生を得たという怖い体験でした。(それ以来雨の日は絶対にのりませんでした)

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